東日本大震災にて被災された方々に心からお見舞い申し上げるとともに、1日でも早い復興がなされるように願っています。そして、わたしたち「応用地質技術者」は、その手助けが少しでも出来ればと期待しております。今回の現地見学会は「がんばろう日本!」と題しまして、明治から昭和初期の先人たちが、成し遂げた成果を学び、今後の復興にその創造力とエネルギーを生かせるような見学コースを設定してみましたので、是非ご参加下さい。

  1. 催 日平成23 年10 月29 日(土)・・・・・日帰り(雨天決行)

  2. 見学コース

壮瞥~支笏湖方面コース

8:00 出発
10:00 幌別鉱山跡及び中和処理施設 見学 Stop1
11:30 出発
12:00 昼食(フォレスト276大滝) Stop2
12:45 出発
13:10 苔の洞門 Stop3
14:30 出発
14:55 王子製紙の千歳発電所 Stop4
16:00 出発
16:30 千歳空港
18:00 札幌駅

コース詳細

<タイムスケジュール>

8:00 札幌駅北口集合
8:10 札幌北インター
8:40 千歳インター
9:00 樽前PA到着
9:10 樽前PA出発
9:30 登別東インター
10:00 STOP1 幌別鉱山跡及び中和処理施設(旧鉱山集落跡地・処理施設)
10:00~11:45 中和沈殿物堆積場(旧集落跡)見学
11:45~11:30 処理施設
11:30 北硫建設出発
12:00 STOP2 フォレスト276 大滝着
12:45 フォレスト276(食事+お土産購入45分)発
13:10 STOP3 苔の洞門 着
13:10~13:25 駐車場より展望台へ移動
13:25~14:15 苔の洞門内見学・記念写真撮影
14:15~14:30 展望台より駐車場へ移動・苔の洞門 発
14:55 STOP4 王子製紙の千歳発電所
15:05 第1堰堤遠望と基礎岩盤見学
15:25 千歳第1発電所見学
16:00 千歳第1発電所出発
16:30 千歳空港着
16:45 千歳インター
17:45 札幌北インター
18:00 札幌駅北口解散

テーマ:国策鉱山開発とその後を学ぶ

(鉱山)開拓以後、道内で開発が進められた非金属鉱山が硫黄鉱山である。火山国日本は世界的にも高需要の良質な硫黄の生産地である。戦後、原油排煙の脱硫技術で回収硫黄が可能になるまで、外貨獲得の柱だった。北海道は火山脈に恵まれ、恵山、川湯、知床、幌別等が日本有数の生産地だった。幌別と奥の黄渓に北海道硫黄の幌別銅硫黄鉱山があり、黄渓は1911 年開鉱、16 年産量日本ーとなり、山上に1 千人が居住した。現在廃墟が残る。(北海道文化資源データべースより)

見学コース:中和沈殿物堆積場(旧集落跡)見学→中和施設見学

<STOP1-1 旧採掘場所>集落・学校があった高台から旧集落場所を展望。パンフレット他で全体の位置関係を理解

<STOP1-2 処理施設> 処理施設は中和処理施設、沈殿地(?)、沈殿物の脱水処理の施設を順に見学

テーマ:秋のおいしいきのこを楽しむ

昼食およびお土産の買出しポイント約45分 昼食メニューはきのこご飯セット

きのこご飯例(当日の状況によりメニュー内容が異なる場合があります)

テーマ:観光資源保全と防災を学ぶ

湖畔温泉街から国道276 号を美笛方面に約13 キロメートル、風不死岳の麓にある枯れた峡谷にびっしりと苔がむした奇勝地です。樽前山が噴火したときに流れ出た溶岩の割れ目が、沢水等により浸食されてできた自然の回廊状の地形で、深さ最大約10m、総延長約420 メートルにも及ぶ切り立った岩肌はまるでビロードで覆われたかのように美しく幻想的です。苔の種類はエビゴケ、チョウチンゴケ、オオホウキゴケなど約30 種。これほどの苔の群生は適度な温度、湿度、日照量で長い年月をかけないとできないという学術的にも大変貴重な場所です。(千歳市HPより)

2001年6 月に起きた谷壁岩盤崩落(入口より110m地点で発生、崩落岩塊大きさ:縦4.4m横4.1m 厚さ1.4m、石丸他2002 より)以降、洞門内は入場禁止となっておりましたが、洞門内への立ち入り・見学が可能となりました。

苔の洞門内の谷壁(千歳市HPより)

見学コース:駐車場より徒歩にて洞門入口へ(約15 分)、洞門内約200~300mを見学洞門内は用意したヘルメット着用、軍手や足回りは各自用意

詳細工程:

13:10~13:25 駐車場より展望台へ移動
13:25~14:15 苔の洞門内見学・記念写真撮影
14:15~14:30 展望台より駐車場へ移動・苔の洞門 発

テーマ:支笏湖の応用地質を学ぶ

王子製紙は1910 年に完成した苫小牧工場に電力を供給するため、支笏湖を水源とする千歳川にて千歳発電所の取水施設である千歳第一堰堤を建設。豊富な水量を有し、工場のある苫小牧に近いこともあって、当時長距離の送電技術が確立されていなかったこともあり千歳川への関心は高まった。折から、福澤桃介を始め民間による水力発電事業が盛んに全国で行われていたこともあり、明治末期より千歳川に水力発電所群を建設する計画が立てられた。建設が行われたのは、千歳川が支笏湖より流れ出て、現在の千歳市中心部に出るまでの狭窄部。水明渓谷と呼ばれる一帯であった(千歳市水明郷)。当時この一帯は宮内省の御料地であったが、1905 年に使用願申請を行い、これが受理された後に着工された。この地が選ばれた理由は、不凍湖である支笏湖の豊富な水量と千歳川の急流が水力発電に適し、また工場予定地から近距離であるので当時の技術でも送電が可能であったこと、さらに北海道炭礦鉄道が敷設されていたことで物資の運搬が可能であったためである。発電所を含めた工場建設のための総工費は当時の額で約400 万円という高額であり、王子製紙単独では拠出不可能であったことから、三井合名会社の資金援助を仰ぎ建設が始まった。まず1910 年、支笏湖からの吐き口に千歳第一堰堤(えんてい。)を設けて、そこから水路を通じて発電を行うこととした。これが千歳第一発電所であり、認可出力10,000 キロワットは当時としては日本最大級の水力発電所であった。千歳第一堰堤は日本では唯一となる重力式バットレスダムという型式である。現在では上流の千歳第一・第二堰堤、下流の千歳第四ダムと共に、土木学会による土木学会選奨土木遺産に発電所と一緒に指定される貴重な土木文化財でもある。(ウキペディアより)

見学コース:駐車場より徒歩にて千歳第1 発電所を見学

(時間に余裕があれば、第1 堰堤遠望と基礎岩盤の見学実施)
詳細工程:
15:05 第1 堰堤遠望と基礎岩盤見学
15:25 千歳第1 発電所見学
16:00 千歳第1 発電所出発